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2008.02.01

あなたの「五感」は本物か

僕はこれまでいくつかのCDやDVDの録音、編集に
立ち会ってきましたが、太鼓という楽器の特性
こうした録音物の特性のなじみの悪さに
いつも悩まされていました。

加えて、自分の出したいニュアンス
一般的なリスナーの音を聞く環境とのなじみの悪さ
もありました。

その溝を埋めるために、発想の転換
コンセプトの練り込み、録音の加工技術の導入
などをしましたが、それはそれでとても楽しく
勉強になりました。

つまり生音、生演奏とは全く別物という観念で
やっていたわけです(当然といえば当然ですね)。

しかし、作る側も聞く側も、こういった音に
慣れてしまうことをとても危惧していたのです。

なぜかというと、別物が本物になり、本物が別物に
なってしまう怖さを感じていたからです。

別物は別物として、その制約と可能性の中で
楽しんでいればいいのですが、そのためには、
本物を知っていなければなりません。

アエラ('08.2.4)に、現代人の五感は、
ハイテクにより偽装されている、という
記事がありました。

聴覚については、音楽に触れる機会としてCD、
しかもヘッドホンやイヤホンで
それを聞くという環境はどういったものか、
という話です。

商業音楽を否定するつもりはさらさらありませんが
(自分がそれをやるかどうかは別として)、
そのフィールドで成り立つ音楽とリスナーには、
失うものも大きいとは思います。

リスナーの環境(ヘッドホン、カーステ、スピーカーの
ボリュームを上げられない、など)に対応するため、
「コンプ」と呼ばれる加工がなされます。

それによって、何が起こるのか。

それは「いい音」や「いい音楽」の判断基準の
人工的な片寄りです。
音の判断基準が、生音、生演奏から離れて
しまうことです。

寿司やで本わさびを食し
ホントのわさびちょうだい」
といった若者がいたそうですが、この若者の
わさびの味覚の判断基準は「チューブのねりわさび」
だったのです。

デパートで買ったカブトムシが死んでしまって
「お母さん電池切れちゃった」といった子供の、
命の基準は電気製品に依存するものだったのです。

それと同じことが音楽でもおきている、
ということです。

感覚が商業主義に翻弄されていくことには
気をつけたいものですね。

なにが本物かは、突き詰めると意外に
曖昧なものですが、こんなバーチャルな
時代だからこそ

皆さん、

たまには自然音に耳を澄ましたり、

生音を聞きに

ライブに行こう!!

、、、って遠回しに宣伝(^_^;)

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Comments

その通りだと思います。
現代社会の「音」に対する状況はかなりまずい状態になっていると思います。
最後の砦である生音も、現代の建築物の持つ音の反射特性(コンクリートは音を反射するとき、高音の耳に付く倍音を付加する)によって、良い音が雑音へと変化させられています。
また、ライブに於けるPAの多用も、真の意味での生音を聴く機会を減らしていると思っています。

なので、生音ライブに行きたいですし、自分も生音の音楽をずっと続けて生きたいと思います。

Posted by: さとりん | 2008.02.01 at 02:28 PM

こんにちわ。
何だかとても共感させられるな、
と思いました・・・
私は学生の頃レコーディングの勉強を
ちょっとだけしていたことがありまして、
もう耳は鈍ってしまいましたけど、
やはり生音のレコーディングって
面白いけど難しいんだな、
と感じていたことがあります。
なので、特に和太鼓なら
なおさら「叩く瞬間」と
あの空気の振動を伝って響く
アンビエントの部分の微妙な音を
CDで聴く、聴かせるのって難しいんだろうな、
と改めて思いました・・・

>別物は別物として、その制約と可能性の中で楽しんでいればいいのですが、そのためには、本物を知っていなければなりません。

本物(基礎)を知っていれば(あれば)
別物(応用)も、制約の中であったとしても
創造しやすくできるんだよな、というのを
このテーマに限らずどんな場面においても
当てはまることだな~、と思いました。

本質を思い出すこと、改めて知ること
今それをすることが大切な時期に
来てるのではないかと思ったりします。

あ~、何だかとっても
「質」というものの重要さを
思い出させていただいた日記でした(笑)

3月のライブ行きたいです♪
遠回しの宣伝に乗ります(笑)


Posted by: めぐみ | 2008.02.01 at 03:35 PM

最後まで読んで思わず笑ってしまいました(((^笑^)))

小学生の時に好きだったアーティストのレコード音源とライブの音の差に驚愕…落胆した事を思い出しました。それだけ歌声も楽器の音もイジってあるという事なのだな~と子供心に覚悟を決めた事件でした。

もちろん音ばかりではありません。数年前からワイドテレビが普及していますが、現行の放送は4:3のスタンダード画面と16:9ワイド画面が入り混じっていますが、一般の家庭ではこの4:3比率を16:9のワイド画面に引き伸ばして視聴している事がほとんどです。当然出演者の顔は横に引き伸ばされているのですが、気にならない、もしくは気付いてない人がほとんどです。私は絵を生業にしていますのでこれが気持ち悪くて仕方が無いのですが…
最近も印刷物への似顔絵の依頼があり、面長の特徴をデフォルメしてお渡した所…印刷物のスペースの都合に合わせて上下に押し潰されておりました。比率を勝手に変えられた事もさることながら面長の似顔絵を丸顔にされた事にいろ~んな意味で唖然としました。

感じるのは、情報を信用していて感覚を信頼していない事でしょうかね。。。というかマジでヤバイだろうと思ってますけど。。。。


竜太郎さんも目撃する事もあると思いますが、新宿などの街頭で南米からフォルクローレを演奏するグループが多数来ていますが、いつの頃からか皆が皆マイクを通し、イコライザーをかけて、シンセドラムでの演奏となっています。その方が日本人には受けるからそうしているのだとか…
ホールのような広い場所でなく目の前で、その音が服を揺らす距離にいるのに…もう何がその音楽の魅力なのやら…

とはいえ生音はもちろんの事、私は「金子竜太郎」がどういう音をCDに吹き込むのかがとても楽しみですけど(((^笑^)))。

Posted by: じっちゃん | 2008.02.01 at 03:48 PM

同感、同感。本当にライブに行きたいものです。
同一空間の内で五感、いや六感を通して竜太郎さんのライブを楽しみたいです。

私はこれを読んでいて玉置浩二さんのライブを思い出してしました。マイクを使わず肉声を伝えてくれたあの歌を。。。あの一曲を。

本物をお客様へ届けたいとされるアーティスト達が真に願うことなのでしょうね。

たぶん、普段の生活でも媒体を通さず自分をさらけだすってことに繋がる様な気がします。

私も竜太郎さんが吹き込んだ音に多いに興味あり。楽しみにしています。


Posted by: のりこ | 2008.02.02 at 05:00 PM

みなさんの切実なコメントを読んで、うれしい気持ちになっています。ありがとうございます。


とは言え、かくいう私もホールの広さや共演者との組み合わせによってPAも使いますし、コンピューターテクノロジーを使った音や映像とのコラボを、むしろ積極的に考えています。

最先端はいつでも発展途上。それを表現手段として使う上で、技術者と表現者の共同試行錯誤がいつも必要な分野です。

PAから会場に流れる音の実際は、演奏者は聞くことが出来ません。そういう意味でオペレーターも表現者。でもこの分野の歴史は、あまりにも浅いですよね。和太鼓に使うとなると尚更です。たかが20〜30年ですから。ここも精進が必要なところですね。

優れた人形使いが、人が演じるのとはまた違う、人形ならではの感情の伝え方をしてくれるように、テクノロジーを扱って”いぶき”が感じられるような音作りもしてみたいと思っています。

もちろん生音の追求ありきですけどね。

Posted by: りゅうたろう | 2008.02.03 at 11:00 AM

竜太郎さまが、おっしゃりたいこと
よくわかります。

私にもCDと生演奏とが全く違うミュージシャンに
大変失望させられたことがありましたから。

また、CD販売だけのためにコンサートを
主催しているようなレーベル会社にも
うんざりしております。

確かにコンサート会場で販売した方が
レコード店に置いてあるだけよりも
よく売れるのでしょうが、ファンとしましては
ミュージシャンに敬意を払ってほしいと
願ってしまいます。

また、私は音楽の力って凄いと感じています。
音楽で世界を変えることはできませんが
人間を変えることができると信じています。

どうぞ、私達の心や感情に奥深く働きかけて
くださるような魂のある音楽を発信していって
くださいませ。


Posted by: Emi's House | 2008.02.03 at 07:39 PM

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